2014年1月20日月曜日

頭が良くなる生活習慣!

 
 
 
先日、コンビニの書棚を見ていたら、この本が目に留まりました↓


 
 
米山公啓の頭が良くなる生活習慣
 
 
  
 
ぺらぺらっとめくってみて、面白そうだったので
 
ついつい買ってしまいました。。。
 
 
 
少し前に、脳トレというものが流行りましたが、
 
どうも、脳の血流が一時的によくなることと、
 
脳の神経ネットワークが増える事は
 
イコールではないようです。
 
 
計算などの単純作業をやるのではなく、
 
何か新しい事をすることによって、
 
脳は非常に活性化されるようです。
 
 
以下に、印象に残ったページを挙げておきます!
 
 
 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
 
新しいことをする、運動をすることによって、
 
脳は活性化してくるようです。
 
 
先日NHKで、
 
 
 
 
というものをやっていました。
 
重なる部分も多いので、参考にしてください。
 
(再放送:2014年1月23日(木)午前0時40分~1時29分(22日深夜)
 
 
 
米山氏の本に関しては、
 
似たような本として、
 
 


 
 
があります。
 
 
また、私はかつて、
 
 
 
 
 
こちらの本を読んで感動したのを覚えています。
 
 
興味のある方、合わせてどうぞ!
 
 




参考:


 
 
 
 
米山公啓の頭が良くなる生活習慣
 
 
 



 
 
 
 
人生を変えた10日間―“ボラボラ島クルーズ”の予期せぬ出会い (青春文庫 (よ-10))
 
 
 




2014年1月13日月曜日

住する所なきをまず花と知るべし、、〔風姿花伝より〕

 
 
私が毎回録画してみているNHKの番組に
 
 
というのがあるのですが、

1月は世阿弥の著した

風姿花伝

という書物についてやっています。
 

 
 
この書物は、能に関する様々な事柄、極意などが書いてあるそうなのですが、
 

 
 
その中で、世阿弥は特に
 
 
という語を頻繁に使っているそうです。
 

 
 
 
では、とはなんなのか、、、
 



 
 
」と「面白い」と「珍しさ
 
は同じことなのだそうです。
 
 
珍しきが花
 
という 言葉がありますが、
 


 
 
いつもまったく同じでなく、
 
何か変化がある、目新しさがある、
 
 
 
 
 
そこに、花=面白さがあり、
 
人はそこに興味を惹かれるのだと述べています。
 
 
これは、まさに現代でいうところの

 
 
イノベーション
 
そのものだと指摘されていました。
 
まさにその通りですね。
 
やっぱ伝統として残っているものには、
 
それなりの理由があるんですね。
 
 
 
また、この世阿弥の言葉に関して
 
私が思い浮かべたのは、
 
フラクタル
 
についてでした。
 
 
人間が
 
美しいとか、面白い、心地よい
 
と感じるのはフラクタルと関係しているといわれます。
 
 
(自然の風のリズムである1/fゆらぎを取り入れた扇風機なんてありましたね、、)
 
 
つまり、全くの規則通りではつまらないし、
 
また全くのカオス=無秩序でも人は落ち着かなくなりますが、
 
秩序とカオスの中間あたりに、
 
人が、美しさや心地よさを感じるポイント(フラクタル)があり、
 
自然はまさにフラクタルそのものだといわれます。
 
 
 
世阿弥は自然物のに託して
 
このことを述べようとしたのではないかと思いました。
 
 
 
また世阿弥は、花に関して、
 
住するところなきを
 
まず花と知るべし
 
と述べているそうです。
 



 
 
自分を常に更新していくことによって
 
花がでてくるのだそうです。
 
 
これはとても感じるものがありました。
 
 
などを見ていても、
 
その道のプロと言われる人たちは、
 
同じことをやっているように見えても、
 
問題意識を常にもって、
 
自らのやり方を日々改良、改善していっていることが
 
共通しているように思います。 
 
 
その毎日の小さな積み重ねが、
 
年を追うごとに凡人との圧倒的な差として
 
出てくるのだと思います。
 
 
前回のブログの内容と絡めていうなら、
 
人間の与えられた課題を
 
創造する事、
 
物語をつくっていくこと、
 
とするなら、
 
まさに同じところに留まっているのではなく、
 
新しいことにチャレンジし、
 
絶えず進化、変化していくことに
 
楽しさがあり、人が生き生きとしてくるのではないかと思います。
 
そして、その生き生きとした様子が、
 
 
として人の目に映るのではないかと思うのです。
 

 
 
住するところなきを
 
    まず花と知るべし
 
 
一年の初めに、
 
この言葉をよく胸に刻んでおこうと思いました。
 
 
第一回はまだ再放送があります。
 
また次回以降も風姿花伝のキーワードを紹介していくようです。
 
  
 
 
 
興味のある方は、どうぞご覧くださーい。
 
 
 


参考:
 
 
NHK: 100分 de 名著
 

 
 




2014年1月4日土曜日

かぐや姫の物語を見てきました!



正月休みに、ジブリの最新作

かぐや姫の物語

を見て参りました。


高畑さんだから、どうなんだろうな~、、、

と思っていたのですが、ひとこと、

凄かったです!

感動して、涙が出そうになりました。


かぐや姫のストーリーなんて、日本人なら誰でも知ってるしなぁ~、

なんてタカをくくっていたのですが、

こういう解釈の仕方があるんだ、、、

と深く、深く感動してしまいました。

魂が打ち震えました。


さすが9年の歳月と50億の製作費をかけただけあります。

作品に魂がこもっていました。

生きる事の意味を考えさせられました。

そして、それは、私が最近うすうす感じてきたことと、重なる気がしました。

ストーリーには触れないように、映画も含めての私が最近感じてきたことを書いてみましょう。


人間の生きる目的とは何なのか、、

ということについてです。


ある人は、人は魂の進歩の為に、この世に生まれてくるのだといいます。

人生の行為を通じて、少しでも魂を浄化させることが

この世で人が生きる目的であり、

したがって人生は修行だと説きます。


私も人生には、確かにそういう一面があり、

そうあろうと、常に心がけています。


では、最高に人が魂を浄化させて、

最終的に大いなる存在と一体になることができたとして、

それからどうなるのでしょう。

私は、また大いなる存在から、魂が個として分化していくと思います。

ではそもそも、なぜ大いなる存在は、個という意識を分化させたのでしょうか?


私はたまに、霧が晴れて、あたり一面を見渡すことができるかのように、
 
あ、そういうことなんだ、

と一瞬イメージがうかぶことがあるのですが、

その一つに、次のようなものがあります。


人はみな演じているのだ。

多くの人は、その演じている事を知らずに役に没頭しており、

知っている人は、そのことを敢えていわない、

言うと興ざめになってしまうから。


仏教的に説明すると、

演じていることに没頭している、

というのは、目覚めていなこと、夢を見ているような状態であり、

演じていることを知っているというのは、

目覚めている事、と言えます。


で、結局、神様の目的はなんなのか、私たちが生きている目的は何なのか、

というと、もっとも俗な言葉で表現すれば、

物語

ストーリーを作っていく、ということにあり、

もう少し高尚な言い方をすれば、

創造

ということになるかと思います。


つまり大いなる視点からすれば、

すべては大いなる循環、戯れ遊びなのではないか、

ということです。


私たちが、様々なストーリーに魅せられるのは、

おそらく大いなる存在が、物語(創造)を楽しむのと同じなのではないか、

という気がするのです。


つまり人生の目的は、一言で言えば、

楽しむこと

と言えるのではないか、という気がします。

しかし、そこにはルールがあるのです。


楽しむことには、その場だけで、自分だけが楽しいことと、

かかわった相手方も楽しくなるという楽しみ方があります。


どちらを選択するかは、私たちにかかっているのですが、

私たちの意識は本来ひとつ、であるから、

死んで、個という壁が限りなく薄くなったときに、

相手方になした行為を、相手の立場にたって、感じることになるのです。

つまり、死んでからも楽しくなるためには、

思いやりをもって生きる

という、昔から人の道として説かれてきたことを守るのが

人生の最善の楽しみ方なんだろうと思うのです。

で、結局それは、魂を向上させること、に繋がってくるんですね。


生きるというのは、様々な制限があります。

その代表的なもの、象徴的なものが重力といえるでしょう。

重力は人間を大地に縛りつけている制限でありますが、

しかし、私たちは重力があるからこそ、大地を蹴って前に進むことができるのです。

坂を上って高みに達することができるのです。

制限があるからこそ、それを破って、前進しようとするガッツが湧いてくるのではないでしょうか。

作用・反作用の法則がそこに働いています。


宇宙空間の無重力状態を思い浮かべてみましょう。

そこで、足をジタバタさせても、動くことができません。

おそらく、死後の魂というのは、そのような状態にあるのではないか、という気がします。

だから、魂は制限のあるこの世に敢えて生まれて、何がしかの方向に進みたいと思うのではないか。

多くの魂は、魂を進化させることを望んでいるのかもしれません。

でも大きな視点からしたら、

あらゆる行為は、それが大いなる退歩、遠回りのように思えても、

すべては進化に通じているのであり、

すべては大いなる戯れ、壮大なストーリーなのではないか、

という気がするのです。



以上が、最近私が感じてきたことです。

だからなんなのだ?

というと、

どうせやるなら、楽しんでやりましょう、

ということです(笑)。



だいぶ、映画のことからは離れてしまった感がありますが、

テーマとしては、そう大きく外れている、ということもないと思います。


最後に一つ、映画の中で最高に良かったところだけ上げさせていただきましょう。

私が一番気に入ったのは、

最後の月から使者がくるシーンですね。

また、そこで流れる、天上の調べとでもいうのでしょうか、

底抜けに明るいわけでもくなく、かといって暗くもなく、

ただ淡々と楽しげに流れている音楽が、

シーンとあいまって、なんともいえず良かったです。

あの音楽だけでも、また聞きたいなぁ~、なんて思いました。


この映画は、映像もさることながら、

そのストーリー、音楽を含めて、稀に見る傑作です。

おそらく国際的な何がしかの賞を必ず取るでしょう。
 

是非、映画館でご覧になってくださーい!



参考:

かぐや姫の物語 公式サイト

かぐや姫の物語 - Yahoo!映画



2014年1月3日金曜日

あけまして、おめでとうございます!

 
 
 
 
 
明けまして、おめでとうございます!
 
 
今年も、元旦、
 
海岸に初日の出を見に行きました。
 
 
こうして年に一度、
 
太陽の昇るところを見るのは、いいものですね。
 
 
心がリセットされる気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日が昇ったところで、
 
近くの神社に初詣に出かけました。
 
 
 
 
 
いつもは人のいない神社なのですが、
 
正月には、人がいっぱいで、
 
トン汁や漬物、甘酒、日本酒が振る舞われます。
 
 
朝から日本酒を飲んだら、
 
少しふらふらになってしまいました。
 
 
 
午後にはさっそく、ポストに年賀状が届いていました。
 
 
今年の私の年賀状はこちらです↓
 
 
 
 
 
 
 
空白部にそれぞれのメッセージを入れて
 
送らせて頂きました。
 
 
 
 
また、本年も一年、よろしくお願い致します。
 
 
<(_ _)>