2012年1月25日水曜日

ゲーミフィケーション



皆さんは、このニュースを聞いたことありますか?

難問のタンパク質構造をゲーマーが解析

タンパク質の3次元的な分子構造を明らかにするオンライン・ゲーム『Foldit』で、科学者たちが10年間にわたって解けなかった難問を、ゲーマーたちが10日以内に解くという快挙があった。


また、少し前にNHK爆問学問
の中で、

イギリスの新聞社が始めたシリアスゲーム「地元選出議員の経費を調べよう」には2万人以上の市民が参加、議員の不正な経費請求を次々に暴き、その結果28人以上の国会議員を辞職に追いこんだ。

ということが紹介されていました。

NHK爆問学問:FILE171
「君はシリアスゲームを知っているか?」


私はこれらを別々のソースから耳にしていたのですが、

このような世の中の実際の問題をゲーム感覚にしてみんなで解決してしまおうというのを

ゲーミフィケーション(gamification)

というそうで、これはいまや世界的な潮流になりつつあるということを

NHKクローズアップ現代:
ゲームが未来を救う!?
 ~広がるゲーミフィケーション~


でやっていました。


これは、先にあげた科学の問題から、地球環境問題、政治、仕事など、あらゆる分野への応用が進んでいるというのです。

私はこれをみて、あ、時代が変わって来てるなぁ~と思いました。


ある物事に取り組むのに、四角四面で眉間にしわを寄せ、一部の人が努力してとりくむのではなく、

自発的な参加者によって楽しんでやっているうちにいつの間にか解決してしまう

というのは素晴らしい手法であり、これがそもそも学問や研究、商売などの原点だと私は思います。

これは、ある意味でエネルギー革命です。

人間のエネルギーの使い方を変えるものだからです。

努力しなければならないというと、あまり乗り気になりませんが、

楽しんでやるというのは、エネルギーが湧いてくるものです。

困難なものを楽しんでやっちゃうというのは、まさに発想の転換であり、

人間におけるエネルギー革命ではないかと思うのです。


そういえば、雷に2回打たれたことのあるアメリカ人臨死体験者(ダニオン・ブリンクリー氏)が、

人々があまりにあの世のことに無知すぎて不幸に陥っている現状に、

一般の人たちが精神世界のことを探求するのに、ギャンブル的な要素を導入できないものか、

ということを本の中で述べていましたが、まさにこれだな、と思いました。


ダニオン・ブリンクリー著書




私達は常にやらなければならないことをたくさん抱えています。

それを単に義務やルーティーンとしてやるのはあまりにつまらなさ過ぎます。

どうせだったら毎日新鮮な気持ちで楽しんでそれらに取り組みたいものです。

そのヒントとして、このゲーミフィケーションという手法は一つの画期的なアイデアだと思います。


何度もブログで取り上げていますが、受験なんていうのも嫌なものです。

でもこれこそ、

与えられた時間の中で、相手のルールに則って、いかに高得点を上げるか

というゲームそのものです。

こういうものこそ発想の転換から、勉強をゲーム的な方向にシフトしていくというのはとても大切なことです。

私は昔はよくゲームにハマっていましたが、ゲームと勉強の違いってなんでしょうか。

一つには、ゲームはやっていること自体が楽しい、というのがあります。

でも勉強もやり方を変えれば楽しいものへと変わります。

例えば、クロスワードパズルや数独などはなんで楽しいのでしょうか。

これは考えること自体が人間にとって楽しい事だからです。

従って、勉強においても考えて、解く楽しさを味わえるような方法にもって行くとはかどっていきます。

ではその為にやることは何か?

人間が楽しいと感じるのは、簡単すぎる物でもなく、難解すぎてちんぷんかんぷんのものでもなく、

その中間ぐらいにあって、ちょっと考えたら解けるかも、、、という問題です。

ゲームでは、予備知識があまりなくてもやっているうちに段々やり方がわかってくるものですが、

勉強は、まず基礎知識を仕入れなくてはなりません。

そしてその基礎知識をもとに、やさしめの問題から解いていくということが大事になってきます。

あとは、ゲームは飽きたらやめられるという利点があります。

でもなぜか勉強は飽きても、ある一定の時間とか、一定の分量をこなすまでやらなければならない、

とかいう思い込みがあります。これはまったくのナンセンスです。

飽きたらすぐやめましょう。で、次のことをやるのです。

次の科目でもいいし、いすに座っているのが疲れたなら体を動かすのがいいです。

こんなことをやって、勉強をゲーム感覚でやろうとすれば、自分なりのカタチが出来あがってきます。

私はこの手法によって自らの勉強法を確立しました。

その中のひとつを紹介すると、昔話制限法というのがあります。

なんのこっちゃ?

って感じでありますが、ちょっと説明してみましょう。

昔話の主題によく、「~をしてはいけないよ」といわれて、

その戒をやぶることによって物語が発展していくという形式のものがあります。

聖書でも、ヘビに「知恵のリンゴをたべてはならない」と言われたのに、

それを食べてしまう事から地上での人間の生活が始まります。


つまりこれはなんなのかというと、

人は制限を与えられると、それを破りたいという衝動が働くという性質があるようです。

従って、私は自分に制限を与えました。

ひとつの科目の勉強は15分しかやってはならない、と。

15分というのは単なる自分の感覚です。

15分内で出来る事もありますが、

15分の内に興にのってきて、時間オーバーしてやりたいとという衝動にかられる時があります。

そういう時は、心ゆくまでそれに取り組むのです。

これは、自らに制限を与えることで弾みをつける方法です。


これを逆に、一つの科目に一時間取り組まなければならない、

とすると苦痛になってきます。時計をみて、まだ20分しか経ってない

だとか、ヘンな方に関心が移ってしまい、結局あまり集中できません。


日常生活でも、お金や時間がありあまるほどあると、

かえってロクなことしかしないように思います。

ある程度制限があった方が断然その時間やお金を有効に使えるような気がします。

毎日が人生最後の一日であると考えたり、二度と同じ日はやってこないと意識した方が一日を充実して過ごせるのと似ています。


おそらく、毎日の生活でやらなければならないこと、仕事やその他の諸々のことも、

発想を変えれば、かなり楽しくできるのではないかと思います。

どうしたら毎日を楽しく過ごせるのか、という意識をもって臨んでいれば、

自ずとその答えが出て来るように思います。

まずは、根本の発想をかえてみるという事だと思います。


最後に、子供の教育で、勉強をやったらお金を与えるというようにゲーム化するのはダメです。

クローズアップ現代でアナウンサーが自分の子供にそれをやったら失敗したんですよね~

ということを言っていましたが、これはアメリカの心理実験で明らかにされていることです。

本当は、本を読んだり、問題を解いたりすること自体が楽しいことであるのに、

ある分量の本を読んだり、問題を説いたことに対して、お金やお菓子を与えるなどすると、

お金やお菓子を如何に貰うかということに関心がいってしまい、

知識を吸収し、考えることの楽しさが身につかず、結局報酬がなければ勉強しなくなるということになるのです。

大切なのは、ものごとを考えたり、探求していったりすることの楽しさを教える事ではないでしょうか。

それは誰でも体験していることです。

そのノウハウさえ教えてあげれば、あとは子供たちが自分の興味に応じて自動的に物事をどんどん吸収していくことでしょう。

枝葉、小手先の勉強の知識を教えるのではなく、

将来あらゆることに応用できるであろう勉強のやり方学びのコツ(骨)を教えることの方がはるかに大事なのに、

そういう発想がないのはどうしてなのだろうと、常々疑問に思う彦兵衛であります。


そんな中、身の回りの問題をゲーム化して楽しんでやっちゃおうというのは、

いかにも現代的でイイ潮流だなと感じました。


おしまい





参考:

難問のタンパク質構造をゲーマーが解析


NHKクローズアップ現代:
ゲームが未来を救う!?
 ~広がるゲーミフィケーション~
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3147

NHK爆問学問:
FILE171:「君はシリアスゲームを知っているか?」2012年1月19日放送
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20120119.html

ダニオン・ブリンクリー著書

ダニオン・ブリンクリー公式HP
http://www.dannion.com/









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