2010年9月16日木曜日

志高く、、、秋の空に思う



前回紹介した孫さんの番組の最後に、

高校生たちと対話するという時間が設けられていました。






そこで孫氏は次のように若者たちに訴えかけました。








自分のもった夢に自分の人生はおおむね比例する結果を生む

これはおそらく正しいと思います。


卑近な例で言うと、

たとえば今日は何時に出掛けよう、とか、今日は何時までに寝よう

と思っていても、

たいていはギリギリになったり、またズルズルと時間が伸びて遅れてしまう傾向にあるように思います。

でもその目標を15分とか30分前などと少し早めに設定して置くと、ズルズルずれてちょうど良くなるということがあります。

私の中では、限界時間を高めに設定して置くとちょうどよくなる、と解釈していますが、

もっとロングスパンの人生においても、おそらく似たようなことが起こるだろうことが推測できます。

だからまずは、今回の人生でやりたい事を明確化、明文化する、というのは極めて大事なことだろうと思います。



私は時々、今回の人生でやっておきたいこと、を書きだしておきます。

無理だと思われるようなことでも思いつくままに、書きだします。

書くだけならタダだし、人に見せる訳でもないので、無害です。

たぶんこういう作業をするだけで、だいぶ違ってくるかと思います。

前にも書いたかもしれませんが、休日などに、「今日やりたいこと」を書きだして置くだけで、達成度が全然違います。

おそらく目標がハッキリするので、意識的、あるいは無意識のうちにそれを実現しようとする力が働くのだと思います。

一日でもそうなのだから、50年、80年となってくると、その作業をしているかしていないかの差は相当大きなものとなって来るように思います。


孫さんの話しは更に続きます。


























志高く、、、

いい言葉です。

ちなみに孫さんは、若いころに以下のような目標を立てていたそうです。
(右の赤字は達成したこと)





現在50代の孫さんは、60代を迎えにあたって後継者にあとを譲ることを考えているそうです。


それにしても、目標をハッキリもつことって大切なのだろうと思います。

人は神の姿に似せて造られた

とキリスト教では言われますが、おそらくそれは、クリエートする能力という意味も含まれているのではないかと思います。

何か大いなるもの(神)がこの大宇宙を創造したのと同じく、

私たち一人ひとりも、自由意志を使って自分達の人生を創造していく能力を与えられている

ということではないかと思います。

つまり私達も実は一人ひとりが小さま神様なのだという事かも知れません。


自然はフラクタル構造をしていますが、その構造から類推しても、原初の神と同じカタチが人間に顕れていると考えてもおかしくありません。

私達は案外自分達が考えている以上に大きなチカラを与えられているのかもしれません。


しかし、孫さんが指摘しているように、

夢も目標ももたずに、ただ生きて行くために給料を貰いにいく

そんなことをしているうちにあっというまに人生が終わってしまう、、


というのは有りえることだなと思います。


スピリチュアルカウンセラーの江原氏がどこかで言っていたのですが、

生きて行くなかで、自分のやりたいこと、やりたかったことを忘れて死を迎え、

またもう一回生まれ変わらなければ、、

という想いで死んでいく人がいる

と述べていたのを印象深く覚えています。


おそらく生まれてきたというのは、何かしらやりたいこと、達成したいことがあってのことだと思われるので、

ただ漫然と生きていくというだけでなく、

心の奥底を覗いて、自分が今回の人生で本当は何をしたいのかというのを汲み取り、
それに向かってトライしてみる必要があるのだと思います。


だいぶ前に紹介した、死生学のデーケンさんは次のような事を書いていました。




行き先を定めないで、とにかくグリーン車に乗ろうとしているかのような人が多い、

これは面白い表現ですが、とても的を得ているように思います。


またいまちょうど読んでいる河合隼雄さんの本にも似たようなことが書かれていました。




『無為の力―マイナスがプラスに変わる考え方』 河合隼雄, 谷川 浩司 (著)


日本人にはリスクをとる勇気が欠けており、それでは

「オレは何のためにうまれてきたのか?」

ということになってしまうということを述べています。

夢や目標を心に抱いて、それに向かって生きていくというのは、思いのほか大事な事なのかもしれません。

しかし同時に自分の意志だけではどうにもならないこと

というのも厳然として存在します。

そのような事態とどのように折り合いをつけていくべきか。

おそらく

人事を尽くして天命をまつ

というのがその答えだろうと思います。

エドガー・ケイシーをしてこの地上において最高の霊的な書と言わしめたバガヴァットギータの主題は

行為の放擲

にあります。

自分の与えられたことをやり(行為に専念)、結果に執着しない(結果を神に委ねる

ということが主人公のアルジュナに再三にわたってアドバイスされますが、そういうことなのかもしれません。


今回は意志の力を行使すること

に焦点をあてて書きました。

志は山をも動かす

志のあるところに道は開ける

という諺があるように、これは個の力を強調する西洋的な発想であり、日本人に欠けがちな点でもあるように思います。


しかし同時に河合隼雄さんの本のタイトルの様に、

無為の力、他力

というような何か大きな流れに身をゆだねて生きるという生き方もあります。

今読んでいるもう一冊の河合さんの本に、

こころの生態系―日本と日本人、再生の条件 (講談社プラスアルファ新書)

というのがあるのですが、ここらへんの本を読んだあとに何か思う事が有ったら

無為や他力

についても、これらの本の内容を紹介しつつ何がしか書いてみたいと思います。


有為の奥山けふ越えて、、、




参考:

アルフォンス・デーケン (著)
よく生き よく笑い よき死と出会う

河合隼雄, 谷川 浩司 (著)
無為の力―マイナスがプラスに変わる考え方

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

1 件のコメント:

hamakko さんのコメント...

がんばりまーす。