2010年3月31日水曜日

下関陶器の旅 ≪その3≫ ~いざ下関へ!~



広島から翌朝8時の普通列車に乗って、一路下関へ。

私は18きっぷを利用しての鈍行列車の旅は昔からよくしていましたが、瀬戸内海を眺めながら下関へと向かうこの路線は初めてでした。

海岸線や瀬戸内海独特の小さな島々が点在する景色がまるで絵の様で、また線路と海がとても近かったのが驚きでした。

まるで『千と千尋の神隠し』に出てくる、水の中を走る電車に乗っているかのような錯覚にとらわれました。


座席はずっとすいていたので、始終ボックス席で足をびよーーんと伸ばして超リラックスモード

この景色を見ながら、軽い食事をとり、買った携帯ラジオで英会話を聞いたり、と最高に贅沢な鈍行列車の旅行となりました。この区間はまたぜひ乗ってみたいですね。

(つい楽しさにかまけて写真を撮り忘れました、、、)

で最終的に撮ったのが下関到着直前の関門海峡にかかる橋↓








そして予定通りちょうど昼時12時ころに下関到着です↓




まず向かったのが、観光案内所。ここで無料の地図と情報をゲット。

とりあえず魚市場の方向へ歩きつつ、観光ポイントを見て、バスで土塀のある長府へ向かうのがベストであることを確認しました。


で、歩き始めてすぐに訪れたのがこの神社↓


説明1 説明2 説明3


大歳(おおとし)神社といい、なかなか由緒のある神社のようでした。





この神社の建物の横に木が植わっていたのですが、




この木、なんと一円玉の裏にデザインされている木で、「おがたまの木」というそうです。日本人なのに、はじめて知りました。




よく見ると、枝に白い花をつけていました。花をつけている所まで見れて、ちょっとラッキーー!




この神社はかなり高い所にあるのですが、ここからは電車を下りてからずっと見えていた下関タワー?がよく見えました。




観光地というと、すぐにこういう高いものを立ててしまうのは何なのでしょうか。見ての通り明らかに男性原理のあらわれですよね。フロイトが見たら喜びそうであります。


さて、神社を満喫して先に進むと、目指していた魚市場がありました。





唐戸市場といい、せっかく下関に来たのだから、ここで"ふく"を食べない手はないと思い地元の人が食べるような店を市場内で探しました。(下関ではフグのことを濁らないで"ふく"と呼びます)

しかし時間が遅かったのか、市場内のふくを出す店は閉まっていたので、少し手前にあった港に面するレストラン群のひとつでお手頃なお店を探すことにしました。


そこで見つけたのがこのお店↓





割りばしの袋ですみません。

唐戸熱血食堂 いちばのふく

というお店でした。

このお店、ふくのお刺身から、一匹まるまる揚げたものから、なにやらとついたふく尽くしの定食で、なんと980円

料理が出てくるまで時間がかかりましたが、ふくの刺身はこりこり、揚げたやつも脂が乗っていておいしく、またふくの叩きなるものまであったりで、とても満足でした。

ここのレストランからは、海が一望できるのもまたよかったです。






沖合を大小の船が頻繁に行き来していて、見ていてまったく飽きない風景でした。

下関陶器の旅に来たのに、なんだか下関グルメの旅になりつつあるか、、と危惧しつつ、お腹を満たして満足、満足、足取りも軽く料理屋をあとにしました。


市場を越えて少し行くと公園になっており、電車から見えた関門海峡大橋が見えました。





陸地部分を含めるとちょうど1キロほどだそうです。

瀬戸大橋などを見てしまうと、あまり大したことないかなぁ~といった感じですが、出来た当時は画期的な橋だったそうです。時代は移り変わっていくものですね。。。


さてここから少し歩いたところに、神社があったので寄ってみました↓





ここは赤間神社といい、耳なし芳一の話しのもとになった場所だそうで、彼の像などがありました。

しかし私の気を引いたのは、この竜宮城のような神社そのものでした。







海の近くだからか、とても開放的な感じで、雰囲気としては出雲を訪れた時の日御崎神社によく似ていました。

出雲詣り その参 ~日御崎神社~
http://mshiko.blogspot.com/2010/01/blog-post_02.html


なんて説明したらいいのかわからないのですが、この神社の持つ解放感が独特で、

開放的でありながらやさしく包まれている感じがして、つい長居したくなるような感じなのです。


境内からは先ほど見えていた橋が見えます↓




また境内から、くぐってきた入口の朱塗りの大門を見ると、




向こうに海が見えているのですが、これが単なる海でなく、潮の流れの速い関門海峡なので、

門のすぐ外にゴーーっと大河が流れている感じなのです。


「異空間」という言葉よくあう場所かなと思います。とても不思議な神社でした。





案内によると、この神社の先に付属の小さな神社があるそうなのでそちらにむかっていくと、途中に昔使われていたという舟がありました↓










造形的に美しく、貴重なものであろうに、トタンの屋根で囲っただけでまるで打ち捨てられたように置いてあり、こんなんでいいのかなぁ~と思いました。


さてお隣にあった神社、こちらがまた良かったです。(名前は忘れました)




先ほどの赤間神社が、そして""だったのに対し、こちらはに囲まれた静寂の支配する空間でした。




境内には、桜かコブシかのピンクの花が咲いており、春の柔らかい日差しの中、なんとなく眠くなってきてしまうような感じのするところでした。

こういうところが正に "社=イヤシロ=癒しろ地" なのでしょうね。

暫くの間、境内に佇んで花を眺め、山の空気を味わいつつ、鳥の鳴き声に耳を澄ませていました。

すぐ近くなのに、海と山、動と静のこの対照は面白かったです。


名残惜しみつつも、この神社の前からバスに乗り、

下関陶器の旅のキーワードである「下関」で「土塀」のある長府へとバスで向かったのでありました。


つづく、、、




2010年3月27日土曜日

下関陶器の旅≪その2≫ ~広島 原爆ドーム~



出発の日。

午前零時過ぎに、小田原着。

ここから18キップでも乗れる夜行「ムーンライトながら」に乗ります。





ホームに「ムーンライトながら」が滑り込んできました。




きたーー!!

一晩この列車に乗るので、宿泊施設が向こうからやってきた感じ。チョット安堵感があります。

この列車は昔の特急列車を使っているらしく、形からして少し全時代的。

最近の特急や新幹線と違ったこのレトロな感じがたまらなくいいです。旅の情緒を感じます。


本当は列車が止まった時にパチリときれいな写真を取りたかったのですが、

私の乗る車両は8号車と後ろ寄りであることが判明、悠長に写真など撮っている暇はありません。




いそげー、いそげー! といいつつ写真を取っている、、、

(気分は銀河鉄道999に乗り遅れんとするテツロウか!? ちょっと妄想入ってます。。。)





翌0555に終点大垣に到着。

私は30分前ぐらいに目を覚まし、名古屋あたりを通過中、家から持ってきていたミカンをムシャムシャ食べました。

車内にミカンの香りが漂いました。食事をしているのは私だけのようです。


大垣から、米原→京都→姫路→岡山と普通電車を乗り継ぎ、、、広島にやってきました!

到着はおよそ1440

雨のそぼ降るなか、はじめてとなる原爆ドーム見学に出かけました。





市電を下りてすぐに原爆ドームはあります。

思っていたより小ぶりでしたが、その歴史的な価値の大きさを思わずにはいられませんでした。

これは人類共通の財産だと思います。





この建物を前にして、人間が同じ人間に対して何をしたのか、その記憶を事実は事実として次の世代に伝えていく必要があると感じました。

私が広島の原爆といって思い出すのが、小学生の時に読んだ『はだしのゲン』です。

漫画の中で描写されている原爆直後のあのおどろおどろしい絵がそのストーリーとともによみがえります。


ドームの横には穏やかな河が流れていました。





いまは整備されてとてもキレイですが、『はだしのゲン』のなかにあったように、

原爆投下後は水を求めてここにたくさんの人があふれていたのだろうと思います。





同じ日本でも、街によって、独特のにおいというか、雰囲気があります。

広島駅を降りてから一貫して感じていたのは、

活気があるものの、チャラチャラしていない地に足のついた落ち着きのある健全な街、いう感覚でした。





それはおそらく、原爆によって人も街も徹底的に破壊されたというどん底体験をしていることによるものなのかなと感じました。

痛みを知っている人は人にやさしくなれるといいますが、街全体が人にやさしいという印象を受けました。

街に市電が走っているのも、人間の自然なペースを大事にしようとする街の性格のあらわれである様な気がします。


どん底体験といえば、『はだしのゲン』の中に、ゲンの父親がゲンに対して注意している場面がありました。

場所は麦畑で、父親は、

「麦は寒い冬を越してこそ初めて芽を出すんじゃ、冬の後には必ず春が来るんじゃ、ゲンよ、麦のように雄々しく生きるんじゃ、」

とそんなセリフだったように思います。

私は小学生だった頃によんだこのセリフがずっと頭に残っていて、

つらい時には、「冬の後には必ず春が来る」というこの言葉を自分に言い聞かせてきました(笑)。

マンガって意外とパワーあるもんですね。結構私はこのセリフに勇気をもらってきましたよ、ホント。


さて、ドームから河をわたって数分歩いて行くと、よくテレビなどで出てくる記念碑があります。

まわりを歩いている外国人の多さにちょっとビックリ。世界中から来ているようです。








広島というと原爆のイメージが強く、その悲惨な雰囲気がずっと残っているのかと思いきや、それは全く逆で、

街自体はとても生き生きしており、原爆ドーム、そしてこの記念碑の周辺は、逆に人々の平和の祈りあたたかい想いが石畳に染みついているかのようでした。

おそらく世界中にある聖地もこんな雰囲気なのだろうと思います。




石碑には、

安らかに眠ってください

過ちは

繰り返しませんから


と刻んであります。

私はここで手を合わせてから、広島にいる間中ずっと考えていました。

同じような過ちを繰り返さないために何ができるのだろうか?

と。一発の原爆によって、何万もの人が一瞬にして命を失ったわけですが、彼らがある意味命を張って提供してくれた教訓をどのように生かしていったらいいのだろうかと。

よく大学の構内や駅の近くなどで拡声器を手に、声高に政治思想などを説いている人がいますが、ああいうやり方ではないなと思います。

大きな声でメッセージを伝えようとすればするほど、聞く方は心を閉ざすような気がします。

あまり背伸びをしない方法で、悲惨さをことさら強調することなく、

原爆によってどういうことになったかを身の回りの人に話す機会をもつようにすること、

それぐらいが自分のできることかなぁと思います。

でも日本人なら、はだしのゲンぐらいは読んでおきたいですね。


さてこの記念碑の向こう側には、原爆資料館があります。





入館料はわずか50yen

もうちょっととってもいいんじゃない?と思いました。

私はリュックを背負っていたので、ロッカーに預けましたが、ここは100円を入れてあとで返却されるロッカーです。

外国の人などは有料と勘違いする人が多いためか、前の人が取り忘れた100円があったため、私はその100円で荷物を預けました。

ということで入場料として50円払ったのに、最終的には50円のプラスになってしまいました。なんとも申し訳ない気分です。


下は原爆投下直後のドーム周辺の写真↓










ドームはこのデルタ地帯の左側(東側)にありました。




模型の中の赤い印が爆心地、右下がドームです。





デルタ地帯の先端にある橋は相生橋といい、ここがちょうどT字になっていたため原爆の投下目標だったそうです。










資料館内にはドームの模型などをはじめ、映像や実際に触れる展示品などもあり、

見学者が興味をひきやすいようによく工夫されていると感じました。




資料館二階からみた記念碑↓





この資料館は1時間半ほど見ていました。

全体としてよく工夫して展示してあると感じましたが、はだしのゲンなどで描かれているような、

指の先から溶けた皮膚が垂れ下がって歩いている人や、ガラスの破片が無数に刺さった人などといった、
実際の悲惨な写真がもっと見れるのかと思っていたのですが、

そういった写真はほとんどありませんでした。

原爆の悲惨さを伝えるなら、あれに勝るものはないと思うのですが、被災者の方々にとってはあまり出して欲しくないものなのかもしれません。


資料館を出て、平和公園をあとにしました。

道路に出ると、バスや市電がひっきりなしに走っています。





原爆という人類が経験した中でもっとも悲惨な体験をした街であるにもかかわらず、

悲惨さをことさら強調して人の同情をひこうとするわけでもなく、

また無節操な経済発展に奔走する訳でもなく、

人間のペースというものを大事にした穏やかさとともに活気のある街に、とても好感をもちました。

今回は一日のみの滞在でしたが、またゆっくり広島を見学してみたいなぁと思いました。

夜はしっかり広島風お好み焼きを食べ、賀茂泉というおいしい地酒を頂きました。

広島いいところだなぁ~。


つづく



参考:

資料館でもらったパンフレット↓









平和記念公園周辺地図↓
http://www.mapion.co.jp/m/34.3932425_132.4550125_8/


アマゾン↓
はだしのゲン