2010年2月3日水曜日

角界の真のウルフとは?



角界の理事選で貴乃花が当選しました。

力士=ファイター であり、そこに集う人たちは一見荒々しい男性原理の権化のような人たちかと思われます。

しかし相撲というのが「土俵」という限られた丸く閉じられた空間の中で戦われることが象徴しているように、

土俵の上は男性原理の場でありますが、

それを支えている相撲界というシステムは実は伝統や格式を重んじる女性原理として見ることが出来ます。

それはちょうど、お釈迦さんの手の上で暴れる孫悟空と同じ構図です。

このような伝統や格式が重んじられる場においては、

個が自らの意見をいうことよりも、場の空気を破らないことが暗黙のうちに了解されており、それを破ろうとする者は排斥される傾向にあります。

女性原理というのは、いい意味では「つながり、協調」などといえますが、それが良くない方向にあらわれると、

「しがらみ、慣れ合い」となって、変化のないナァナァの集団になってしまう可能性が十分にあります。


私は今回の騒動(?)で、そのなんとなく和を乱してはならない雰囲気というものを打破しようとする貴乃花の姿に、真の力士、ファイターの姿を見た気がしました。

破門、孤立しても、「良いと思ったこと」を貫き通すという姿勢はまことに勇気ある、そして評価に値するものだと思います。

親方衆の顔を見ると、みんなかつてのファイターであったころの精悍さがなく、一様にどんより停滞した表情に見えるのですが、

貴乃花だけは、年のせいもあるのでしょうがキリっと引き締まって見えました。

土俵の上で名を馳せた力士たちが、土俵を去り、それを支えているシステムの方に移行してしまうと、

いつの間にか、知らず知らずのうちに女性原理の中に埋没してしまうように思えるのは、少しさびしい気がします。

そんななか、敢えて孤立、破門覚悟でそのよくわからない慣れ合いに切り込みを入れた貴乃花の行為は、ホント凄いことだと思いました。

あれこそ、真のファイターだよなぁーと思います。


河合隼雄さんは、「母性社会日本の病理」という本を書いてますが、

日本の社会は少し間違えると、女性原理が悪く出た「ナァナァの慣れ合いの集団」に傾く傾向がありますが、

そこらへんをしっかり意識しておくことは、日本人としてとても大事であるように思います。

貴乃花のように、言うべきところではしっかり自らの意見を発言し、

然るべきところで然るべき行動をとるというのは、これからの日本人が見習うべき手本であるように思います。

これから貴乃花がどういう活躍をしていくか、注目していきたいと思います。


さて、前回に引き続きまた男性原理と女性原理の話しになってしまいましたが、

私は昨日のブログを書きながらあることが頭に浮かんでいました。

それはアメリカ先住民のホピ族のことです。

彼らには代々口頭で伝えられてきた予言があるそうです。

その一部は、自分たちの住んでいる場所の地下にはある鉱物が埋まっていて、

白い肌をした人たちがそれを掘り出して「ひょうたん型」のものを作ると、それによって街が火の海となるというものや、

そのあと、白い肌の人たちの中で髪を長く伸ばした人たちが、自分たちの文化を学びに来る

といったことが語り伝えられてきたそうです。

地下に埋まっていたものはまさにウランで、実際にそれを掘り返して原爆が作られ、投下されてしまいました。

また長い髪の人というのはどうやらヒッピーのことだったようです。

地下に鉱物資源が埋まっているのを白人が掘り返そうとするというのは、アバターの設定ととてもにいてると感じます。

ホピの言い伝えによると、人類はこれまでに何回か高度な文明を築いては滅んできたそうです。

一つ前の文明は、によって滅んだとされています。

これは世界各地に残る洪水伝説とも符合してとても興味深いところです。

そして現代の文明は"火"によって滅ぶだろうともいわれているそうです。

ホピによると、滅亡へと向かうかどうかの分岐点というものがあって、私たちはそのどちらに進むかを選択できるのだそうです。

すでにその分岐点を過ぎてしまったのか、また私たちがどちらの道に進んだのか分かりませんが、

アバターを見ながら、ふとホピの予言を思い出していました。

アバターを単なる娯楽映画として楽しむこともできますが、私はあの映画は人類にとっての大きなテーマを投げかけているのだと思います。

なんのための発展なのか、発展の先になにがあるのか幸せとはなんなのか、といったもっとも根源的な問題をつきつけていると思うのです。

それは映画の中の空想の話しではなく、今のいま、私たちが問われていること、毎時選択を迫られていることなのだと思います。

これを考える上で参考になるキーワードが、男性原理と女性原理であり、

テイラー博士の語る左脳と右脳の働きの違い、そして彼女の体験した涅槃体験であろうかと思います。

先人が残してくれている智慧を汲み取って、習慣に埋没することなく、目を開いて生活して行くことが出来たらと思うのであります。



おしまい




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