2009年3月15日日曜日

建築に思う≪その参:ガウディのことば(続)≫

↑カサ・バトリョ(ガウディ52歳のときの作品)


ガウディは「総合」ということの大切さを説き、分析だけで終わってはいけないといいます。

これは、『乳がんと牛乳』を取り上げたブログ内でも書きましたが、現代社会が拠り所とする科学に対する批判としても読み取れます。

繰り返しになりますが、科学(science)はその語源がラテン語のスキーレ(scīre:切る・知る)に由来するとおり、「分科(化)」の学問です。



しかしこのような科学的な分析、すなわち「切る」ことだけでは、ガウディの作品のような‘生き生きしたもの’は生まれてこないようです。

カサ・バトリョ屋上1

カサ・バトリョ屋上2


彼は科学に対して「知性」というものを対立させて次のように述べています。


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知性は科学よりまさっている。この知性ということばは“Sapere”に由来しており、味わい楽しむことをあらわすもので、問題はこの味わうということである。

知性は総合であり、科学は分析である。ある1つの分析の集合はまだ知性ではない。それはまったく単なる分析の集合にすぎない。それゆえ完全なものとは言い得ない。

知性は富であるが、科学は富ではない。科学はにせ金を流通させないために役立つ。(p.91)

(Sapere ラテン語。味わう、賢明である。洞察眼がある。)


知性は科学にまさっている。知性には完全な生命をもった総合があるからである。これに対して科学は死であり分析である。 今まで解剖は常に死体に対して実習された。

知性は富であり財産である。科学は分析された事柄の確かさをわれわれに教え、金貨に対して、にせ金が混ざらないようにするために必要である。(p.91)

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グエル邸(ガウディ35歳のときの作品)


グエル邸屋上


このようにガウディは「分析」に対して「総合」、「科学」に対して「知性」の重要さを繰り返し述べていますが、それでは「総合」とはいかにして生まれてくるのでしょうか。彼は次のように述べています。

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偉大なる書物は常に万人に開放されており、努力を重ねて読むにふさわしいもので、 それは大自然の書物である。(p.62)

自然法則と、自然適用の観察は神性が形となって現われたものである。発明はこれらの模倣である。このことからも、発明が自然の法則と調和していないときはその実現の可能性はない。(p.62)

創造性は〔大自然の法則すなわち〕原点(Origen)にもどることである。(p.59)

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彼は常に「自然を手本にすべきである」、ということを強調しています。それによって彼の言う「総合」が達成され、あのような多数の独創的な建築群が生まれてきたのです。

ここでガウディの建築に対する思想をまとめると、次のようなものになります。

①「分析」とともに「総合」を行うこと、
② そのために常に自然を手本にすること、
③科学的な分析だけでなく 味わい楽しむとこと(知性)

である。
彼のこのような思想は地中海に面したスペインという地の利もあったようで、彼は次のように述べています。

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われわれ〔地中海人〕の力である造形の優越性は、感情と理論のつり合いが取れているところにある。

北方人種は、強迫観念にとらわれ、感情を押し殺してしまうし、南方人種は、色彩の過剰に幻惑され、合理性を怠り、怪物を造る。(p.85)

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このように、理論と感情のほどよいバランスによって、ガウディ独自の美しい建築が生み出されたようです。

これは、機能とデザインのバランスとも読み取れると思います。建築はこの二つがともに生きていなければならないと思います。


つづく、、

参考:松倉保夫
『ガウディニスモ ガウディのことば・形・世界』九州大学出版 1984

ガウディの建築の画像はま、検索して拝借させて頂きました。

m(_ _)m 有難うこざいます。

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